去年12月から不登校です。
元々甘えっ子で、誰かに寄り添っていないと不安になってしまう性格です。
きっかけは、
①○○部に所属していて、先輩が引退し、自分がパートリーダーになった時に、後輩がミスで楽器の部品をなくしたのですが、責任感を感じすぎて怖くなってしまった。
②仲良しの友達は他のクラスで、自分のクラスには馴染めず、一人でいる事が多くなってしまった。
でもいじめられたり、無視されたということではない。
寂しさがつもり積もって行かなくなったのですが、本人はプライドが高くてその事を認めようとはしません。
不登校もみんなに知られたくないらしくて、知り合い、カウンセラーなど他人の介入も拒みます。
なるべく四月の進級に合わせて復学させたいのですが、親がどのように声かけしたり、行動すればいいのか知りたいです。
去年5月1日から指導が始まり、2学期が始まった8月末ころから登校するようになりました。
でもうちは他の方のように、サポートのお姉さんに一緒に行ってもらって…
という事は無く、毎日登校ということもなく、五月雨登校を繰り返しながら、学校へ行っているかんじでした。
でも最近になり、ようやく毎日休まず学校へ通っています。
不登校になり始めた頃、娘は中学2年の秋ごろから登校を行き渋るようになりました。
「お腹が痛い」
「今日は体育があるから嫌だ」
など、色々と理由をつけては休もうとします。
最初のうちは
「車で送って行くから、体育が終わった3校時から行く?」
「午後から行こうか?」
など、こっちも必死で学校へ行かせようとしました。
けれど、それも徐々に通用しなくなり、起き上がろうともしなくなっていきました。
理由を聞いても
「とにかく行きたくない」
「学校が怖い」
といい、あとは口を開こうともせずに黙り込むだけ…。
大好きだった部活にさえ顔を出そうとしなくなっていきました。
「誰かにいじめられているわけでもなく、仲のいい友達だっているのに何故なんだろう…。」
まず私は、周りの友人や知り合いにも相談してみました。
「学校なんか行かなくたって、人生なんてどうにでもなるわよ」
「あなたが優し過ぎるんじゃない?甘やかしてるのよ」
「そんなに心配しなくても、そのうち行くようになるよ」
など、励ますつもりで、良かれと思って言ってくれた言葉なんでしょうが、結局は自分の子供が不登校を経験していない人の言葉は、どこか無責任で、私自身が相談したにも関わらず、どこかモヤモヤとした気持ちを感じずにはいられませんでした。
それ以外に私は、ネットで不登校について検索し、本を取り寄せ、不登校について色々と調べ始めました。
「お子さんのエネルギーが溜まったら動き出す」
「お子さんを褒めてあげる事で自信を取り戻す」
「不登校児は感受性が強くて、気が弱く、そのくせプライドが高い」
など、なるほど…と思うことも書かれていました。
しかしそのどれもが抽象的で、日常生活の中で 具体的に家族が一体何をすればいいのか?
どう声かけをすればいいのか?
という事はほとんど書かれていませんでした。
不登校になり、どうしていいのかも、どう考えても何もわからないまま、日常はどんどん過ぎていきました。
私は中学校近くの道を何となく避けて通り、買い物帰りに 中学生数人が楽しそう下校している姿を見た時は、その当たり前の光景があまりにも羨ましく、涙が溢れて止まらなくなることもありました。
何もわからないまま不登校になって4カ月ほどたった時、とある方のブログで、Go todayという復学支援があることを知りました。
「復学率100%」
という言葉に 最初は夫婦ともに疑っていましたが、藁にもすがる思いで面談を申し込みました。
面談では
「親が変われば、子供も変わっていきます。毎日の生活の中で具体的な方法を実践していけば、娘さんは必ず登校するようになります」
と力強く言われ、気持ちが軽くなるのを感じました。
しかし その場での申し込みはせず、いったん持ち帰り、夫婦で話し合うことにしました。
話し合いのなかで主人は「このまま何もせずにいれば、俺たちが経験したような、学校で友達と笑い合い、部活で頑張ったり励まし合ったりした思い出を作ることなく、時間は過ぎて行くだろう。
娘の中学3年という時期は今しかない。
俺は自分達が変わることで、娘が変わってくれて、学校へ行くようになるなら申し込みたい」
と言われ、私も同感し、申し込むことにしました。
指導を受け始めた最初の頃は、友達や学校の先生に会うことさえ怖がるようになっていた娘が、本当にこのやり方で上手く登校までこぎつけるのだろうかと正直 半信半疑でした。
それは今まで自分達が良かれと思ってやってきた事とは全く違うものだったからです。
しかし不思議なことに、やり方を変えることにより娘は少しずつ変わっていきました。
でも他に復学支援を受けている方の体験記のように、
「突然 人が変わったように…」
というわけではなく、
うちは五月雨登校からのスタートでした。
娘は学校の予定表や時間割をこまめにチェックし、自分が嫌だと思うような行事や授業があるような時は、例え昨日は学校へ行ったとしても、
布団から出てはきません。こんな時以前の私なら、焦りったり動揺したりして、
娘をどうにか昨日のように学校へ行かせようとなだめたりしたでしょう。
しかし母親がやるべきこと、本気で母親が変わることを指導していただいたことで、冷静に対応できるようになりました。
そのことで娘は少しずつ休むことが減ってゆき、まずは一週間連続…その後1カ月連続で…と徐々に登校できるようになってきました。
そして不登校中は教科書は机の中、鉛筆さえ握らず、人と接っすることを嫌っていた娘が
「高校受験のために塾に行きたいんだけどいいかな?」
と言ってきた時は本当にビックリし、しばらく言葉が出なかったほどでした。
そして娘は私立高校を受験、合格することができ、
卒業式を迎えることができました。
娘が校長先生から名前を呼ばれ、卒業証書を受け取り、みんなと同じように壇上に立って卒業の歌を泣きながら歌っているのを見た時は、私自身も涙が止まらず、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
復学支援を通して、私は親としての子供への関わり方が間違っていたのだとわかりました。
我が子を思うあまりに必要以上に関わり、過保護過干渉になっていたのです。
親が親としてどうするべきなのかを、先生方に教えてもらい、育てていただきました。
本当にありがとうございました。


中学2年生12月〜