お子さんの不登校でお悩みの方のお力になればとのことで承諾をいただき、掲載させていただきます。
1度目の不登校〜復学支援を受けるまで
我が家は現在新高校2年、新小学6年のふたり姉妹と夫婦の4人家族で、主人は今年3月末まで7年間の単身赴任をしておりました。
始まりは長女が小学5年の3学期です。
冬休みが明けしばらくたった1月中旬体が震えるという症状が出始め1月末には家から出られなくなりました。
その後1週間ほどの間に娘はみるみる変わってしまい、家の中で暴れる、お風呂に入らない、雪の降る夜中に薄着で家の外に出て、ずっと座ったまま、日中はカーテンを閉めていても窓のそばに寄れない、通院しようにも車に乗って外の人の目に触れるのを極端に嫌がる、外にいる人の目が全員自分を責めていると言う、酷い時にはハサミで部屋にあった紙類を切り刻みました。
まだ小5の女の子相手に大人(父母、祖父母)はなすすべもなくおろおろするばかり。
担任、スクールカウンセラー、かかりつけ小児科医では埒が明かず、娘が家の中で暴れている時に電話した心療内科医からは警察に電話するよう言われる始末…
紹介状をもらった大学病院小児科医には、更に児童精神科のある別の大学病院を紹介されました。
私は紹介状を手に呆然と帰宅し、本当にこのままこの大学病院に委ねて良いのだろうか?
入院、投薬をまだ小学生の娘に強いるのは間違いではないのか?と自問自答しました。
娘がどんなに異様な行動や態度をとっても、とても精神を病んでしまったようには思えなかったからです。
娘はいわゆる優等生で優しく繊細な子。人見知りな一面はありましたが親に心配をかけたりしない娘でした。
それなのに…人間はこんなに短期間でこうも変われるものなのか?
ひとつだけ確かなのは、娘が苦しんでいるということでした。
他に手は無いものかとネットで必死に情報を集めました。どれもに似たり寄ったりの中、『親が変われば子は変わる』のメッセージが心に止まりました。
私が変わる事で娘が苦しみから開放されるのならそれがベストだと思いました。
すぐに連絡させていただき面談後支援をお願いしました。
復学支援を受けてから〜2度目の不登校
それから2ヶ月程経った6年生の始業式翌日に登校再開、再登校後は不安定な日もありましたが、先生がその都度ご指導・サポートしてくださりご支援も卒業させてただきました。
お陰で小学生を無事に卒業しました。
中学入学直後は環境の変化で少し不安定でしたが3年間元気に継続登校し卒業。
去年希望の高校に入学しました。
高校は1学期は無遅刻無欠席、朝課外や部活動と土日も休みなく元気に過ごしていました。
ところが高校1年の10月末、突然娘が『ずっと体調が悪くて今まで頑張ってきたけどもう限界。体調が回復するまで学校は休むから』と宣言。翌日から本当に登校しなくなりました。
理由は誰にも言わなかったけど小学生の時から悩んでいた症状で『過敏性腸症候群』だと言う娘。
病院に行っても治らないから行かない、漢方薬で治したいけどどれくらいで治るか分からないからそれまで休む、の一点張り。
漢方薬局と電話して私も内容に納得出来たのでそれは飲ませるとして、学校はそのうち行くだろうとしばらく様子をみることにしました。
しかし3日、1週間、10日…時間は過ぎていきます。
定期考査の日程が近くなりそろそろ登校しないとダメだと娘も考えたのか、明日から行くから車で送って欲しいと言うので翌日送りました。
駐車場に停め無言のまま時間ばかり過ぎますが車を降りられずに帰宅。
行けると思っていた学校に行けない自分にショックを受けたようで、翌日から部屋に引きこもり、一切顔を見せず言葉を発する事もやめてしまいました。
もちろんご飯も食べません。そうなるとダメな事だと分かっていても部屋の前に食事を置くようになりました。
それから食事は部屋の前、お風呂は家族が居ない日中と引きこもり生活に迷い込みました。
どうすべきか悩み迷い、以前ご支援いただいた先生に助けを求めるか葛藤している時に、たまたま先生からお電話をいただきました。
先生にはご指導卒業後も年に1、2度ご挨拶がてら近況をお知らせしていました。
先生の声を聞くとそれまで耐えていたものがあっさりと流れ出てしまいました。
もう一度先生にお願い出来ないかを伝えると快く直ぐに対応してくださいました。
娘が完全引きこもりになって1ヶ月が経つ頃でした。
2度目の支援開始〜復学まで
それからはまず娘を部屋の外に出す事を最優先に、現状を説明して出来る限りの対応をしてくださいました。
私は先生の操り人形になったつもりで行動しました。
部屋に籠るのをやめさせるために、部屋の前に食事を運ぶのをすぐに辞めました。
食べる食べないは本人の意思、それは以前のご指導で頭では理解していても心が甘やかしてしまっていました。
高校は出席日数が日に日に厳しくなります。2学期の終わりに近付き、とうとう学校から進級する条件(日数、成績、単位など)を明確に提示されました。
違う進路(通信制高校、もう一度1年生からやり直し)も想定しなければならない覚悟をしました。
先生のご指導のもと、日々の娘に対する対応を少しずつ変えていったら、奇跡的なことがおきました。
それは、年末になり、娘がようやくLINEで自分の気持ちと部屋を出る条件を送ってきました。
1ヶ月半ぶりの娘とのやり取りです。
直ぐに先生に連絡して対応を教えていただきました。
翌日の夜、本当に久しぶりに娘と顔を合わせました。
言葉はほとんど無くとも部屋から出してくださった事が本当に有り難く、同じ空間で食事ができることが信じられない思いでした。
この後も日々先生に状況を伝え私は操り人形の如く動きました。
年が明け娘はだんだんと落ち着きを取り戻しましたが3学期がスタートしてもまだ登校はできません。
学校からも今までこんなに長く休んで復活出来た子はいない(もう戻るのは無理でしょう)と聞いていたので、いよいよ残り数日となったところで娘と進路について話をし娘の希望を聞いて通信制高校など見学に行くことになりました。
今の高校への復学を親としても諦めていましたし、娘も通信制高校を想定してるようでした。
先生に相談して直ぐに見学予約をし、翌日約3ヶ月ぶりの外出で娘と一緒に通信制高校に行きました。
ひと通り説明と見学を終えた帰りの電車で娘が『なぜ高校に行けないのかな?小学生の時は行けたのに今はなぜ行けないんだろう?あの時はどうやって行ったんだろう?まだ今の高校に戻れるかな?』と今の高校に戻りたいのに戻れないという気持ちだと分かりました。
他の進路を考え見学した上で戻りたいと感じたのだと思います。
この時で復学までのタイムリミットが3日でした。
すぐに先生に状況を伝え対応を教えていただきました。
帰宅してひたすら娘の溢れ出る話を聞き見守っていると、仕舞い混んでいた制服に袖を通したり、通学カバンを出してきたり…復学に気持ちがどんどん傾いて行きます。
娘が『担任に明日の時間割を聞いて欲しい』『席を1番後ろにして欲しい』と言ってきました。
先生にメールすると逆らわず子供の意思を希望通り対応するよう返信があり、高校に電話して担任にその旨伝え、明日行けそうなら登校しますと話しました。
翌朝、気分が悪いと言いながらも起きてきました。
こまめに先生とやり取りしながら、かなりの荷物があるので車で送りました。(今の高校に復学はないと思っていたので冬休み前に私が全ての荷物を学校から持ち帰っていました。)
駐車場で葛藤していましたが、見守っていると意を決して車から降りました。
1月末その日を含め残り2日での登校再開でした。
10月末から丸3ヶ月の不登校、その期間中の完全引きこもり1ヶ月半です。
それから3月末まで2日以上休めません。
発熱があれば新型コロナ対応で否応なく休まねばなりません。
教科によっては1時間たりとも休めないものもあります。
受けてない試験を時間外で受けたり未提出の山のような課題をこなしたり、3ヶ月授業を受けてなくても学年末考査12教科の試験はあります。
それをクリアした上で全日制高校では12教科全てで単位取得に必要な成績を残さないといけません。
実際進級するのにかなり厳しい状況でした。
本当に首の皮一枚です。
それでもあの時進路を諦めず、逃げ出すことなく自分の気持ちに正直に復学を選択した娘を大したもんだと思いました。
納得したのであれば通信制高校転学もありえましたが、本人の意思は今の高校への復学でした。
やってみてダメだったらそれはまだ納得出来る。
それからは3月末まで綱渡りの日々。
毎日先生とやり取りさせていただきながら、全ての条件をクリアし進級が確定しました。
1年生の最後の教科書販売で2年生の教科書を持ち帰った時は本当に嬉しかったです。
担任からも本人がよく頑張ってくれましたと声をかけていただきました。担任にもクラスメイトにも恵まれました。
そして何より親身になりご支援いただいた先生には感謝しかありません。
先生は子供の事を最優先に最大限の対応をしてくださいます。
時にはそれが厳しく感じることもありますが、それはその子にとって1番必要な事だと理解できます。
昔のご縁であの時お電話頂かなければきっと違う未来でした。
2度目の不登校の経験から伝えたいこと
自分1人では迷うことが多くかなりの遠回りになります。
ぜひ信頼できる専門の支援機関を頼って欲しいです。
我が家はご縁をいただいた先生に2度も助けていただきました。
そして高校の不登校は中学までとは違って進級というリミットがあります。
私の最大の失敗は、初動が遅かったため、復学まで残された時間が短くなった事と引きこもりにしてしまったことです。
それでも先生は最大限出来る対応をしてくださったので今があります。
これからも諦めることなく、逃げる理由付けをすることなく、真摯に子供の声を聞き見守っていきたいと思います。
生きている限り何度でもやり直しはきくのです。
長くなりましたが、ひとつの事例としてお伝え出来ればと思います。
一人でも多くのお子さんが、居るべき場所に笑顔で戻れる日が来ますように。
本当にありがとうございました。